【人物史実考】
TOP > 【戦国・歴史】関連 > 人物史実考:鮎川盛長

■鮎川盛長
    孫次郎と呼ばれていた。
本庄城主本庄氏の一族。 
父は『鮎川摂津守清長』
永禄11年
(1568)
  本庄繁長に攻められて落城した。
天正元年
(1573)
  直江景綱と春日山城の実城、二の郭、三の郭の塀を造った。
天正6年
(1578)
9月23日 御館の乱のときには景虎側についた。
本庄秀綱が栃尾より御館城に入って景虎を助ける。  
これを鮎川に報じて本庄繁長との闘争止めさせた。
天正10年
(1582)
  景勝と新発田重家との抗争は中立的立場。(天正10〜15年)


TOP 闇戦国研究所